つい先日、とあるブログ記事を発見。
記事を書いた方は元々海外に住まれていた方で、内容は吃音について。
その内容に強く共感したので、自分もたまにはパーソナルな話をしようかなと。
みなさん「吃音症」ってご存知ですか。
普段生活していてあまり耳にするような言葉ではないので知らない方もいるかもしれません。
吃音とは簡単に説明すると話し出す時言葉につまったり、同じ音を何度も繰り返してしまう障害のこと。
あまり良い表現ではないけれど、どもり、どもるとも言います。
吃音をテーマとして扱った作品といえば、映画『The King’s Speech(英国王のスピーチ)』。
この映画で吃音症がより広く世間に認知されたことは間違いないでしょう。
コリン・ファース演じるイギリス王ジョージ6世の吃音で悩む姿が描かれています。
前置きが長くなりましたが、かくいう自分も物心ついた時から吃音症なんですね。
一口に「吃音症」といってもその症状の度合いというのは人それぞれ異なりまして。
日常生活にあまり支障をきたさない程度の軽い症状の方もいれば、ほとんど会話がままならない程の症状の方もいらっしゃいます。
自分はどちらかといえば前者の方に当てはまると思います。
症状がなくなった、というわけではないのでこれからも付き合っていかなければならない障害なのですが、それでも年齢を重ねるにつれ少しずつマシになってきたように感じます。
そして、これにはいくつか理由があると考えられます。
まず言えるのは「自分の弱点を知り、解決策を見出す」ということ。
吃音症の方なら誰しもが共感していただけると思いますが、皆それぞれ苦手な音やタイミングがあるんですね。
苦手な言葉を自分の言いやすい音で始まる表現に言い換えたりなど、一工夫してなんとかその場を凌ぎます。
あと、もう一つ。それが生活環境の変化。
これによって吃音に対する恐怖心がだいぶ克服された気がします。(あとで詳しく触れます)
そんなこんなで今では人に吃音症であることが気づかれることもなく(たぶん)、他の人たちと会話できるようになったわけですが、最初の頃は本当に苦労しました。
正直小さい頃の記憶というのはあまりないんですが、吃音症に関して今でも覚えているのは父親との会話。
一緒にお風呂に入っている時だったかな。
自分が何かを話していて、あるタイミングで言葉に詰まって上、「あ、あ、あ、」みたいな感じで何度も同じ音を繰り返してしまいました。
その瞬間父親にすごく笑われたんですね。それを真似されたりもしたかも。(記憶違いかもしれないけれど)
それはそれは自分にとってショッキングな出来事でした。
もう人と会話するのが恐くなるレベルで恥かしくてたまらなかった。
もちろん当時吃音症なんて知る由もないので、スムーズに上手く言葉が出てこない自分に「人と少し違うのかも」という気持ちが芽生えました。
ちなみに、こんなことを書くと父親の印象が非常に悪く聞こえますし、関係性もあまりよろしくないのではなんて思われてしまいそうですが全くそんなことはなく。
当時は吃音症だなんてほとんど誰も知らないだろうし、父親も冗談半分でからかっただけなんでしょう。
いずれにせよ、まだ小さい子どもであった自分としては衝撃的な体験でした。
そんなこともあってか、幼稚園や小学校の頃はそれなりに友達はいるものの自ら進んで話すようなタイプではなかったです。
自分の子供が吃音症であるということを親が認知していたかどうか(というのもこんな話したことないから)は定かではありませんが、何かおかしいというのには気づいたらしく本を買い与えてもらったのを覚えています。
『声に出して読みたい日本語』だったかな。
効果があったかはわからないけれどよく音読してました。良本。
人とそれなりに会話はできるものの、自ら長い話を展開させていく、なんていうのは不可能だったので「巧みな話術を持つ人」や言葉そのものに強い関心を持ちました。
中学生の頃洋楽ヒップホップやお笑いにハマったのはそういったことが要因として考えられるかもしれません。(のちに英語にハマるのも)
それはさておき、学生時代ともなると苦労の連続。
まず授業がとにかくきつい。
先生の話を聞いたり板書したりはいいんですけど問題を答えさせられるのが本当につらかった。
日本史や世界史で「一問一答」っていう問題集がありましたよね。
これを毎週授業一発目で答えなきゃいけない時間がありまして。
答えはわかっているのに苦手な音で始まるのでわからないふりをしてやり過ごしてました。
普通の人からしたら訳のわからない話かもしれないけど本当にこういう感じなんですよ。
苦手な音というのは人それぞれあって、自分の場合はいくつかありますが特に「あ、い、う、え、お」。
これから始まる言葉は言えなかった。
学生時代には「いらっしゃいませ」が言えなくて飲食のバイトを落とされたこともありました。(顔採用もあったけど)
とはいってもア行から始まる言葉なんて山ほどあるわけで、言葉が出ないなんてそんなこと言ってられないんですね。
そこでいろいろと試行錯誤するわけです。
上記で紹介した記事を書いた人は「あ」自体をすっ飛ばして「(あ)りがとうございました」と言っていたそう。
これは素晴らしいアイデア。即採用したい。
自分の場合は「ラ行の音に変換してしまう」という荒技を駆使していました。
例えば「いらっしゃいませ」なら「りらっしゃいませ」みたいな。
もちろんはっきり言ってしまってはおかしな人になってしまうので、最初の音は小さく、ラ行とはいってもほぼア行に近いラ行で人生乗り切りました。
あと苦手な音でも一つ言える方法があって、それは言う瞬間足踏みをするという。
未だにそのメカニズムはよくわかっていませんが、リズムを生み出すことによって言えるという不思議なテクニックでして、電話の時使ってました。
とにかく憎い存在である「ア行」。なるべくア行から逃れ続けました。
例えば、青学は端っから受験しませんでした。理由は大学名を聞かれてどもるかもしれないから。
一人暮らしをする際にはアから始まる地名などもなるべく避けました。住んでいるところを聞かれてもどもるかもしれないから。
本当にうそみたいな話だけど。
ただ、これだけいろいろあっても吃音症だということを誰かに打ち明けることはなかったです。
そもそも自分が吃音症だということを自覚していなかったかも。
当時はまだガラケーの時代ですし、調べるにもどう検索していいかわからず。
これは自分が抱えている「何かしらの問題」であり、自分で解決すべきもの。
まわりで自分のような人に出会ったことがなかったし、ずっと自分の内に留めていました。
吃音症の存在を知ったのは大学生の頃でしょうか。
なんだかんだで学生を終え、社会人を経てイギリスへとやってきたある日、あるユーチューブの動画と出会います。(公式に公開されているものではないのでリンクは貼れないですが、「吃音」というタイトルで概要欄には”NHK特集 2019.”と書かれています)
その動画を見た時、ロンドンの部屋でひとり号泣してしまいました。
動画では自分よりも症状の重い方々が映し出されていました。
足踏みをしたりなど皆各々のやり方で必死に声を出そうとする姿が過去の自分と重なり、何十年という歳月の積もり積もった思いが爆発し泣き崩れました。
自分の中で何かがすっきりとした感覚があったのと同時に、あらためて自分の吃音について向き合ってみたんですね。
その時に気づいたんです、自分の症状が軽度になりつつあることに。
ここでようやく話が戻るんですが、自分の吃音がマシになってきているのはこの「外国語環境」にあるのではないかと思ったんです。
言語はなんでもいいんですけど、英語を話している時ってあまりどもらないんですね。
まず、母音が日本語と全く異なります。
例えば自分の苦手意識のある音である「あ」。
英語だと「あ」の音となる母音は、大きく口を開けて言う”ɑ”、口をエの形にしながら言う”æ”、曖昧母音の”ə”、などなどたくさんあるんですね。
苦手な日本語の「あ」とは違うので意外とすんなり言えてしまうんです。
吃らない理由は他にも考えられます。
それは使う脳の場所が違うからなのかもしれません。
英語で話している時って基本頭の中でも英語で物事を考えているんですが、場合によってはぱっと言いたい表現が思い浮かばず、日本語から変換して持ってくるような瞬間というのもあるんですね。
母国語である日本語を話している時と脳の使い方も違うので、そういったことが気を紛らわしてくれてどもらないのではないかなと。
また、日本語しか話せない頃の自分と外国語と日本語を話せる自分では日本語自体の意識もいろいろと変わってきます。
例えるのが難しいけれどギターしか弾かなかったのが、ベースを弾くことで新しい奏法やリズム、考え方が生まれるみたいな。
まず一つ言えるのが言語というものをより俯瞰で捉えられるようになると思います。
吃音症の人にとって言葉を発するというのはものすごく恐怖です。でもそんなどもってしまうかもしれない日本語も所詮「自分の話す言語のうちの一つ」になります。この感覚って言葉を発する恐怖心がだいぶ和らぐ気がします。
もう一つが違う言語を知ることによってそれが自分の日本語に影響を与えてくるんですね。
大きいところだと例えば「声の出し方」。
これはもちろん人によりますが、日本語は口先でちょこちょこと話す人が多いです。
でも英語は喉を使ってはっきりと話すので口の使い方が全く違うんですね。
海外にいると日常的に母国語よりも英語(今はドイツ語も)を使うことの方が圧倒的に多いので、自然と日本語の声の出し方もそっち寄りになっていきます。
そうすると新しい発声方法によってこれまで日本語でつまずいていた苦手な音も克服できてしまったなんてことも。
付け加えて、これはそれなりに流暢になってから感じることのできるものですが、言語にはそれぞれ特性があり日本語と英語を話している時で性格が変わるなんてこともあるので、外国語を使っている時は「違う自分」になれるためどもらない、というケースもあると思います。
この「外国語だと吃音がなくなる」というのはうっすらと自分の中で感じてはいたものの確証のないものだと思っていたんですが、調べてみると結構たくさんの記事が出てくるんですね。
なので意外と実践的で効果のあるものなのかもしれません。
というわけで少々赤裸々な内容となりましたが、自分なりに吃音についてまとめてみました。
自分自身も同じ症状を持つ方の記事などを拝読し救われたので、この記事が誰かのためになればなと。
吃音で悩んでいるなら海外生活して環境変えちゃえば?なんていうのはあまりにも極論ですが、外国語を習得するというのは一つの方法として試してみる価値はあるのかなと思います。