長編3作目『The hound of the Baskervilles / バスカヴィル家の犬』

そういえば、以前にブログでベネディクトカンバーバッチによるシャーロックホームズの朗読を聞いたことをお話した。

当時はまだ二冊目を読み始めたばかりだったのでネタバレしないようにそれが何に収録されている話なのかなどを調べたりせずタイトルも曖昧のまま聞いたのだが、それは実は”正典”ではなく他の方が書いたものであった。

これはジョン・テイラーという方が書いた四つの短編作品が収録されたもの。(寝ながら一つ目の作品を聞きつつその「犯行」についてわかった時点で寝落ちし、それ以来聞いていなかったので四作品も収録されているとは知らなかった)

この事実を知った時にちょっと安心した。

というのも、いくら小説を読み進めてもこの話が出てこなかったからである。

短編をすべて読み終わってしまった時には「もしかしてとんでもないくらい見当違いをしていたんじゃないか」と自分のリスニング力を疑ったが、結局そうではないことが判明。(よかったよかった)

ちなみに、現在はスキマ時間を利用して「ホームズゆかりの地」をいろいろとめぐっている。

先日も30箇所くらいはまわれたかな。これに関しては長編をすべて読み終えたところでちょこちょこ出していこうと思う。

そんなところで早速本題に。

The hound of the Baskervilles / バスカヴィル家の犬

今回その舞台として登場するのはイングランド南西部デヴォン州に位置するDartmoor(ダートムーア)。ムーア地形で広がるこの場所はダートムーア国立公園として保護されている。

出典:Wikipedia

シャーロキアンにとってはイギリスに訪れたら一度は必ず訪れたい場所のひとつであろう。

ロンドンから行くとしたら一度Plymouth(プリマス)、もしくはExeter(エクスター)まで行き、そこからレンタカーなりバスなりで向かうのが一般的なのだろうか。

この作品『バスカヴィル家の犬』は最も映像化されたもののひとつでもあるらしい。

本書を読んで

ホームズと煙草

ホームズを語るうえで『たばこ』は切っても切れない関係と言えるだろう。ホームズといえば “七パーセントの溶液” としても知られている通りもっと上のレベルのものに手を出しているが、この辺の話はブログでは触れないでおく。(当時の時代背景なんかもあるし)

ホームズシリーズではパイプ煙草、嗅ぎタバコなどいろいろと登場する。(パイプ煙草は今でもロンドンでたまに見かけるかも)

そしてホームズはタバコの灰からその銘柄を見分けることができるし、彼自身も愛煙家である。

“ドアをあけたときの第一印象は、火事が発生したというものだった。なにしろ部屋じゅうに煙が充満し、テーブル上のランプがかすんで見えるほどなのだ。ー一部省略ーうずまく靄を通して、おぼろげに見てとれたのは、わがホームズの姿だった。いつもの部屋着にくるまり、黒い陶器製パイプをくわえて、肘掛け椅子のひとつにとぐろを巻いている。”

本書では巻きタバコも登場する。

「ときに、その人差し指のごようすから、自分の手でタバコを巻かれる習慣とお見受けしました。どうぞ遠慮なくやってください」

“すすめられた客は、巻き紙とタバコの葉とをとりだすと、紙に葉をのせて、驚くほど器用に巻いていった。”

これは現代においても特に珍しい光景ではない。

こちらでは箱で売られているタバコは単純に値段が高い(ものにもよるがざっくり言うと日本の三倍くらい)ので、巻きタバコも一般的である。

日本では箱でも安いのにわざわざ巻きタバコを選んでいる方もいるので、こっちと日本とではその辺の巻きタバコに対する認識の違いがあるかも。

ホームズとロンドン

ダートムーアへ旅立つ前にはこんな場面もある。

「それがすんだら、どこかボンド街の画廊へでも行って、ホテルでの約束まで、時間をつぶすとしようよ」

“きょうも、それからの二時間、いま私たちがかかわっている不思議な事件のことなどまったく忘れたかのように、近代ベルギー絵画の巨匠たちによる作品の鑑賞に没頭して過ごし、画廊を出たあとも、ノーサンバーランド・ホテルに着くまでのあいだ、その口から出るのは、美術の話題ー美術に関して、本人はいたって素朴な見解しか持たないのだがーのみに終始した。”

実際このBond Street(ボンドストリート)にはたくさんの画廊が存在する。

言葉の表現

あと個人的に気に入った会話のやりとりを紹介。これはヘンリー・バスカヴィルとステープルトン”兄弟”のやりとりの一部始終をこっそり遠巻きから見ていたワトスンがヘンリーの前に姿を表したときの場面。

「あんな野っ原のまんなかなら、だれにも煩わされることなんかないと思っていたんだがな」と言う。「ー一部省略ーところであんたはどのへんに席を予約してたんです?」

「ぼくならあの丘の上です」

「ずいぶん後ろの席じゃないですか、ええ?しかしあの兄貴のやつは、ずっと前のほうの席だった。あいつがぼくらに詰め寄ってきたようす、見たでしょう?」

本書を読んでない方からしたらこんなざっくりとした紹介をされてもよくわからないと思うが、当然この丘に “席” などはなくこれはあくまで比喩である。

自分の知る限りではこっそり隠れていたやつに対して日本語で “どのへんに席を予約していたんです?” というような表現は使わないと思うのでこういった英語と日本語の表現の違いは興味深いなと感じる。

こういった表現の違いは言語ごとにそれぞれあり、本書で使われているもので挙げるなら例えばこの一説。

“ほどなくしてヒューゴーは、虜のもとへ食物と飲み物を届けんものと、客一同を広間に残し、ひとり階上へあがった。だが行ってみれば、籠は裳抜けの殻、鳥はすでに飛び去りしあと。”

この“鳥”とは女性のことを指す。(現在では差別的なニュアンスも含まれるためあまり使われない)これも日本にはない表現である。

最後に

今回の『バスカヴィル家の犬』は終盤までその正体や謎が全くつかめなかったのでかなり楽しめた。

自分もダートムーアへと訪れてその陰鬱で荒涼とした情景を味わってみたいが、時期も時期なのでちょっと悩み中。